読売ジャイアンツで現在注目されている選手戸郷翔征(22)。
WBCの選抜選手にも指名されいま注目を集めていますね!
戸郷翔征はどのような学歴で学生時代の実績はどのようなものだったのでしょうか?
そこで今回は戸郷翔征選手についての・・・
- 学歴
- 小中高の場所と名前
- 学生時代の実績
について紹介してゆきます。
戸郷翔征の学歴は?
戸郷翔征の学歴は以下になります。
- 三股町立三股西小学校
- 都城市立妻ケ丘中学校
- 聖心ウルスラ学園高等学校
戸郷翔征は宮崎県で生まれ育ち地元を愛していたので、中高も宮崎県の学校に進学しました。
出身学校を順番に紹介します。
戸郷翔征出身小学校
戸郷翔征の出身小学校は・・・
です。
以下に地図と画像を紹介します。
三股町立三股西小学校地図画像
三股町立三股西小学校は宮崎県中央部に位置する町です。
のどかで町でのびのびと過ごしていたようですね!
幼少期のエピソード
幼稚園の頃にやっていた水泳を習っていたそうです!
また、、母ヒトミさんについて行き、バレーボールの試合にも出ていたようですね!
「やっぱり肩甲骨や肩(の可動域)。つながっているんじゃないかと思います」と幼少期に強靱(きょうじん)な肉体の土台を作り上げていた。
※引用:日刊スポーツ
小学時代のエピソード
戸郷翔征さんの幼少期から小学校時代のエピソードをまとめました。
- 2000年4月4日に生まれてから、気付けば近所の山や川で遊んでいた。
- 走って山を登ったり、友達と釣りに行ってそのままの勢いで泳いだりしていた。
自然、趣味、習い事、全てが巨人戸郷を育てた。2000年4月4日に都城に誕生して以来、気付けば近所の山や川で遊んでいた。「ずっと走り回ってましたね。ちょっと田舎ではあるので走って山を登ったり、釣りが好きなので、1人で釣りをしたり、友達と釣りに行ってそのままの勢いで泳いだりとかもしてましたかね」
※引用:日刊スポーツ
幼少期から自然に慣れ親しんで基礎体力を身に着けていたようですね!
野球を始めたのもお父さんの影響だったようです。
- 野球をしていた父・健治さんと兄・悠大さんの影響で野球は始めた
- 小学1年生の時に三股ブルースカイとう少年野球に入る。
- 両親の協力のもと、壁当てと走り込みに明け暮れる。
- 家の裏にある駐車場が練習場だった。
と小学校1年生からすでに野球人生が始まっていたようです!
魚釣りの網を改良したネットで練習したり、自転車や車で追いかけられて走り込みをしたそうです!
やはり1流の野球選手になる人は幼少期からのトレーニングが桁違いですね(笑)
幼い頃から身近にあったのが野球だ。野球をしていた父・健治さんと兄・悠大さんの影響でボールを手にする毎日。当然のように、小学1年生の時に三股ブルースカイで野球を始めた。
小学生時代は両親の協力のもと、壁当てと走り込みに明け暮れた。家の裏にある駐車場が練習場だ。趣味の魚釣りで使っていたネットを父・健治さんが投球ネットに改良。毎日、投げ込んだ。走り込みでは両親が後ろから伴走し「自転車で後ろから来たり、車で追いかけられたりだとか、そういうのをやりながらでしたね」。当時の特訓を笑って振り返った。
※引用:日刊スポーツ
戸郷翔征出身中学校
戸郷翔征の出身中学は・・
です!
以下に地図と画像を紹介します。
都城市立妻ケ丘中学校地図画像
中学時代のエピソード
戸郷翔征の中学時代のエピソードを以下にまとめました。
- 中学1年までのポジションは主に捕手
- 中2年時に本格的に投手に転向
- ダルビッシュ有に憧れていた。
- しかし、ダルビッシュのフォームは真似しなかった。
中2年時に本格的に投手に転向した。投手としての練習ではコントロールに重点を置き「1球1球意識しましたね」と丁寧に投げ込んだ。中学1年までのポジションは主に捕手で、その経験を生かし「配球を考えながらやってましたね。自分の投げたい球をよく投げられてました」と捕手のサインにもよく首を振ったと言う。
投手に転向した当初は、できるだけ多くの投手の映像を見るようにした。特にダルビッシュ(現カブス)に憧れを抱いたが、まねをすることはなかった。「あんましフォームをまねするようなことはしなかったから、今のフォームがあるのかなと」。投げやすい投げ方を意識した結果、ダイナミックで変則的なアーム式のフォームにたどり着いた。
※引用:日刊スポーツ
戸郷翔征出身高校
戸郷翔征の出身高校は・・・
です!
以下に地図と画像を紹介します
聖心ウルスラ学園高等学校地図画像
高校時代のエピソード
戸郷翔征の高校時代のエピソードは以下のとおり。
- 県外の強豪校からも誘いを受けたが「地元で甲子園に出たい」と地元高校に進学。
- 1年生の秋からベンチ入りを果たす
- 高校3年間で、少しずつプロ野球選手という夢が大きくなった。
- 対早稲田佐賀高校戦では、完投勝利で初戦突破する
- 2回戦で聖光学院高校に4対5で敗れた
- 3年夏の第100回選手権宮崎大会は、準々決勝で日章学園高校に敗れた。
中学卒業後は県外の強豪校からも誘いを受けたが「地元で甲子園に出たい」と聖心ウルスラ学園に進学した。ここからの3年間で、少しずつプロ野球選手という夢が大きくなった。小さい頃から持ち続けたが、なかなか口にはできなかった夢。「やっぱり中学生とかは、恥ずかしくて言えなかった」。周りにはパイロットや漁師と答えていた。
その気持ちが変わり、プロを本格的に意識できたのは17年夏の甲子園だった。ノーシードから県大会を勝ち上がり、2年生エースとして出場。結果は2回戦で敗れたが「もう1回、甲子園に来たいなと思ったのがきっかけですかね」。プロ野球選手という夢が近づいた瞬間だった。
※引用:日刊スポーツ