サッカー日本代表の相馬勇紀選手。
名古屋グランパスエイトで活躍中のJリーガーです。
相馬選手には、新宿中村屋の創業者の子孫だった!?
との噂があるのですが本当なのか調べてみました!
相馬勇紀は中村屋の創業者の子孫?
『相馬勇紀は新宿中村屋の創業者夫妻の子孫(玄孫)』
せっなくなんでみんな覚えていってくれ。
— 月光ながら (@gekko_nagara) June 5, 2021
サッカー日本代表の相馬勇紀選手に・・・
との噂があります。
これは本当なのでしょうか?
ウィキペディアにも載っていた!
相馬勇紀選手について調べるとウィキペディアのトップページの経歴にも以下のように掲載されていました。
相馬 勇紀(そうま ゆうき、1997年2月25日 – )は、東京都調布市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・名古屋グランパス所属。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。日本代表。
中村屋創業者相馬愛蔵・相馬黒光夫妻の玄孫。
引用:Wikipedia
具体的の名前まで出ていました。
- 玄孫とはなにか?
- 中村屋創業者相馬愛蔵・相馬黒光夫妻とは?
について調べてみました。
玄孫とは?
玄孫の意味は以下の通り。
玄孫とは”やしゃご”
孫の孫の呼称
つまり、相馬勇紀選手は中村屋創業者の孫の孫。
ということになります。
それでは、この中村屋の創業者とはどのような人物だったのでしょうか?
中村屋創業者って誰?
銀座中村屋の創業者は、相馬愛蔵・相馬黒光夫妻です。
どのようなじんぶつだったのか調べてみました。
相馬愛蔵・黒光とは何者?
相馬 愛蔵(そうま あいぞう)のプロフィールは以下の通り。
生年月日:1870年11月8日(明治3年10月15日)
没:1954年(昭和29年)2月14日
出身:長野県安曇野
職業:実業家。
妻の相馬黒光とともに東京新宿中村屋を創業した。臼井吉見の大河小説『安曇野』に中心的人物として描かれている。
相馬黒光のプロフィールは以下の通り。
名前:相馬 黒光(そうま こっこう)
旧姓:星良(ほしりょう)
生年月日:1876年(明治9年)9月12日
没: 1955年(昭和30年)3月2日)
夫の相馬愛蔵とともに新宿中村屋を起こした実業家、社会事業家。旧姓は星、本名は良(りょう)
銀座中村屋の始まりは、明治34年(1901年)東大赤門前のパン屋『本郷中村屋』を買い取ったことでした。
明治37年(1904年)にクリームパンを日本で初めて発売したのが中村屋。
明治40年(1907年)に新宿に移転し、明治42年(1909年)に現在の本店ビルの場所に店を構えました。
相馬愛蔵・黒光のWikiにも勇紀の記載が!
相馬愛蔵・黒光さんのWikipediaにも相馬勇紀選手は玄孫との記載がありました。
ですので、相馬勇紀選手はやはり中村屋創設者の相馬愛蔵・相馬黒光夫妻
の子孫で間違いなさそうですね!
相馬勇紀の自宅は調布市!
相馬勇紀選手の自宅は東京都調布市にあるとされています。
中村屋の子孫だけにお金もちなのではないでしょうか?
ちなみに相馬勇紀選手の学歴は・・・
- 調布若竹幼稚園
- 調布市立布田小学校
- 調布市立第三中学校
- 東京都立調布南高等学校
高校まで全て調布市内の幼稚園・学校に通っていたようです。
この学歴からみても裕福そうな家庭だったことが思えますね!